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内山晶太歌集『窓、その他』

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内山晶太歌集『窓、その他』(六花書林)を読む。

内山晶太さんの作品については、2004年7月〜2005年5月までの1年間、「りとむ」誌上の「Chaser〜現代短歌の今を追う〜」という企画で、内山さんが総合誌や結社誌に発表した作品をリアルタイムで批評をするという試みをしていたことがある。

そのときに、私が取り上げたのは、歌集中では例えば次のような作品。

冬空を叩きて黒き鳥がゆく一生は酸しとおもう昼過ぎ
いくつかの菫は昼を震えおりああこんなにも低く吹く風
ショートケーキを箸もて食し生誕というささやかなエラーを祝う


内山さんが27、28歳のときの作品ということになる。『窓、その他』については、他のところでも取り上げたいと思っていて、ここではあまり書きすぎないようにしたいのだが、一首目の人生の酸っぱさとか、二首目の視線の低さとか、現在の内山さんの作品世界の大部分は、このころから出来上がっていたように思う。

私も当時から内山さんの歌集の出版を待ち望んでいた一人なので、『窓、その他』の刊行を受けての、Twitter上での「#内山晶太祭り」の盛り上がりは、本当に嬉しい。俳人の方や詩人の方にも、強くオススメしたい一冊。

「#内山晶太祭り」については、hanaklageさんが、togetterにまとめてくださっているので、こちらをご覧ください。

他には、次のような歌に惹かれた。

春の雨こすれるように降りつづくほのあかるさへ息をかけたり
春の日のベンチにすわるわがめぐり首のちからで鳩は歩くを
かけがえのなさになりたいあるときはたんぽぽの花を揺らしたりして
「疲れた」で検索をするGoogleの画面がかえす白きひかりに
コンビニに買うおにぎりを吟味せりかなしみはただの速度にすぎず
湯船ふかくに身をしずめおりこのからだハバロフスクにゆくこともなし
わが胸に残りていたる幼稚園ながれいでたりろうそくの香に
影絵より影をはずししうつしみはひかり籠れる紙に向きあう




写真は横須賀の居酒屋さんのランチメニューのネギトロ丼。小鉢と味噌汁付きで500円。横須賀は三崎港に近いためか、マグロはどのお店で食べても大抵ハズレがない。


山田航歌集『さよならバグ・チルドレン』

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山田航さんの第一歌集『さよならバグ・チルドレン』(ふらんす堂)を読んだ。

歩き出さなくてはならぬかなしみを犬をからかつてごまかしてるね
地下鉄に轟いたのちすぐ消えた叫びがずつと気になつてゐた
交差点を行く傘の群れなぜ皆さんさう簡単に生きられますか


生きにくさをテーマにした歌が多い。一首目は、誰かに語りかけているようでいて、自分自身との対話のようにも思える。二首目の地下鉄に轟いた叫びは、他者の声であると同時に、自らの内から湧き上がってくる叫びでもあっただろう。三首目は、胸の中にわだかまっている、生き難い思いの率直な吐露である。

こうした歌は、同じような思いを抱いている読者に、共感という回路を経て、強く繋がって行くだろう。

目覚めぎは僕はひとつの約束を胸に浮かべたまま山羊となる
カフェオレぢやなくてコーヒー牛乳といふんだきみのそのやり方は


一方で、こんなユーモアのある作品にも魅力を感じた。一首目は、目覚めぎわの寝ぼけた顔の比喩として、〈山羊〉がとても効いていると思う。山羊の目は、よく見ると瞳に横棒が入っていて、いかにも眠そうな感じの目なのである。似たような動物でも、たとえば羊は、目覚めというより、眠りに落ちるときのイメージが強いので、ここではふさわしくない。この歌に山羊は実にぴったりくるのだ。もしかしたら、この山羊は、胸の中の約束も、もしゃもしゃと食べてしまったりするんじゃないだろうか、などという空想もしてしまう。二首目も、やり方があまりスマートではないという指摘をしている場面だと思うけれど、カフェオレとコーヒー牛乳という言葉の持つイメージが、とてもうまく生かされている。

カントリーマアムが入室料になる美術部室のぬるめのひざし
鳥が云ふ誰にとつても祖国とはつねに真冬が似合ふものだと
風がさらふ雪を見ながら抱き合つたdocomoショップの光を浴びて


『さよならバグ・チルドレン』は、かなり普遍的な表現を指向している歌集だと思うのだが、先日、所用で札幌に行ったとき、空き時間にこの歌集をあらためて読んでいたら、札幌の空気を感じさせる歌が少なからずあることに気づいた。一首目の〈ぬるめのひざし〉や、二首目の〈祖国とはつねに真冬が似合ふ〉など、じゅうぶん普遍的な表現を獲得していながら、実は北の地に深く根ざしているように思う。三首目は、私のとても好きな歌で、雪の白とdocomoショップの赤という鮮明なコントラストが、誰にでも届く表現であるとともに、〈風がさらふ雪〉は、札幌という都市の風景を思わせるのだ。

普遍的な詠いぶりでありながら、実は深く土地に根付いている。山田さんの歌には、そんな魅力もあるのではないかと思った。

他には、次のような歌に惹かれた。

昨晩のその場しのぎの言ひ訳にサランラップがかけられてゐる
階段をのぼつてゆけば夕暮れと呼びたくはないひとときがある
IDカード首から提げて見つめたる液晶画面にそよぐはまなす




写真は、札幌の居酒屋「大ちゃん」の名物、「カツめし」。カツの中に豚肉と御飯が入っている。玉子を崩して醤油で食べる。

なみの亜子歌集『バード・バード』


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なみの亜子さんの第三歌集『バード・バード』(砂子屋書房)を読む。

吉野の山中での日々の暮らしを、独特の声調で詠い上げた一冊。

川沿いに鹿の足跡小(ち)さきもあり小(ち)さきはあちこち寄り道多し
野の山葵三ッ葉の浸しに飽きる頃にょんと伸びくるすかんぽがある


一首目の、あちこちと寄り道してしまう子鹿を詠った歌は、子鹿のかわいらしさを感じるとともに、山中の豊かな自然が頭に浮かんでくる。二首目に詠まれているような様々な植物が、子鹿の回りにも、〈にょんと〉芽生えてくるのだろうから、子鹿でなくとも寄り道をしたくなってしまうだろう。

豊作という柿農家あり。いや良うないという農家あり。山ごとに異なる
糠みそよう混ぜといて、と電話していつもの面子と夜の更けまで
しとしとのぴっちゃんな女が雨漏りの下に書きゆく葉書のひとつ


どの歌も、定型ぴしゃりの歌ではない。なのになぜかリズムがとてもいい。一冊を読み終えるころには、なみのさんの歌のリズムに、すっかりはまってしまっている自分に気づく。一首目の〈山ごとに異なる〉という把握の仕方は、細かいのか、大雑把なのか。都会の感覚ではなかなか理解できないような括り方が面白い。(私は群馬の山村の出身なので、分かります、と言いたいような気もする。)二首目は、家族に糠みそを混ぜておいてねと頼んで、仲間と夜更けまで飲んでいるという歌だろうか。まるで子鹿のような、〈にょんと伸びくるすかんぽ〉のような、と言ったら大袈裟だろうか、命のおもむくままの生き方と言えるかもしれない。三首目のような、ユーモアのあるしおらしさを演出する歌にも、とても心惹かれる。

私のなにが人を遠ざけしかありありとわかってしまう山の日暮れに
さびしさのきわまりてゆく夜の更けは犬の寝息にいきを合わせむ


もちろん、山中での暮らしは、楽しいことばかりではないだろう。時折やってくる孤独感に向き合うような歌も収められている。この歌集の歌には、「塔」の歌人の名前がたくさん詠み込まれているが、そんなところにも、人恋しさのようなものを感じてしまったりする。

他には、こんな歌にも惹かれた。

やっぱ鳶は山が似合う、とわが言へば、鳶はどこでもえらそうや、ときた
夏台風やる気なさげに到来すおおまかに雨をぶちまけながら
合羽着て風雨の山を渡るときごめんなさいとおもう決まって
なんだってこんなに死んだり生きたり山林に踏みつけてゆく腐葉土の嵩


定型から溢れ出てきそうな言葉たちは、生まれ変わり生き変わる吉野の自然と、作者自身にみなぎるエネルギーを象徴しているように感じた。



写真は、横須賀のベースの近くにあるアメリカンレストランのホットドッグのチリビーンズがけ。

吉川宏志歌集『燕麦』

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吉川宏志さんの第六歌集『燕麦』(砂子屋書房)を読む。


まず、Ⅲ章の東日本大震災以降の作品に注目した。

あなたは安全と思っていましたかと言う妻あらむ山のはざまに
おくのほそ道そのひとところ放射線強く射すとぞ鯖野を過ぎつ
天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ


原発事故を詠った作品を三首。一首目は、言うまでもなく、土岐善麿の敗戦後の歌〈あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ〉を踏まえた歌。二首目では、おくのほそ道まで、三首目では、天皇の玉音放送まで。どれも、日本の歴史を振り返り、行って帰ってきたところで一首にまとめているような作品だ。それだけに、どの歌も、表面的な原発批判に終わっていないばかりか、事態の本質を、深いところから汲み上げてくるような作品になっている。

四つ折にして投票をせし紙が函のなかにて薄目をひらく
あたたかきほうがコピーか二束の資料が朝の机に置かる


日常のちょっとした一場面を詠った歌にも、惹かれる歌が多かった。吉川さんの従来からの得意分野ではあるけれど、やはり痺れる。一首目は、薄目をひらいた投票用紙に投票者が見透かされているようだし、二首目は、会社勤めの経験があれば、誰もが分かる場面なのだが、なかなか〈あたたかきほう〉とは言えないと思う。

暮れながら白砂のうかぶ庭のあり木のナイフにて羊羹を切る


この歌が一番惹かれる歌で、白砂の庭を見ながら羊羹を食べるという、それだけの場面なのだけれど、それだけの場面に、どうしてここまで魅力を感じるのだろうか。少し分析的に読むと、〈木のナイフ〉というのがちょっと意外で、〈ナイフは金属〉という常識と、〈ナイフで羊羹は切らない〉という二つの常識を同時に裏切られ、その結果として、羊羹を切るものとしては、〈木のナイフ〉しかないんじゃないだろうかと思わされるに到る。そして、〈暮れながら(↓)白砂のうかぶ(↑)庭のあり木のナイフにて羊羹を切る(↓)〉という、イメージの上での上下のベクトルが相殺し合って、一首の中になんとも言えない均衡を保っている。

他には、次のような作品に惹かれた。

ハムスター食べずに死にしひまわりの種にはどれも白き筋あり
橋に来て遠くの橋を見ておれば夕べの靄がつつみはじめる
ナイフにて削りしころは鉛筆のなかに小さな仏が居たり
天頂の月にあたまを引っぱられ冬の小さな町を歩くよ
いつしかに陽のさしてきていちじくの葉のうらがわに雨は回りぬ




写真は、近所のタイ料理屋さんのガイガッパオ。横須賀はタイ料理屋さんが多く、家から歩いて行けるところだけでも4軒もある。


「短歌研究」2012年10月号

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「短歌研究」2012年10月号は、現代短歌評論賞の発表号。

受賞作は三宅勇介さんの「抑圧され、記号化された自然ー機会詩についての考察ー」。

次席は荒井直子さんの「出来事の記憶を歌い残すということ」。

荒井直子さんは、「塔」と「太郎と花子」に所属。荒井さんの論文は、抄録しか掲載されていないのが残念だが、前半部分で、「河北歌壇」の投稿歌を丁寧に調べて、被災圏の方々の言葉に向き合っている。荒井さんは、長い間、新聞歌壇の作品をテーマの一つとして評論を書かれていて、粘り強い取り組みに頭が下がる思いがした。

荒井さんとは、「太郎と花子」で創刊以来ご一緒しているが、「太郎と花子」は、北海道新聞の日曜歌壇の選者である松川洋子と、若手を中心とした投稿者とで2000年に創刊。新聞歌壇は、荒井さんにとって、短歌のルーツである訳で、自らのルーツを辿るようなテーマでもある。

荒井直子さんの第一歌集『はるじょおん』(ながらみ書房)から、初出が北海道新聞の日曜歌壇の歌を一首紹介したい。

はじめての誘いの言葉は「ここに来い」技術屋ってのは本当にもう


職場で出会った「君」のことを詠った作品。「技術屋」という一語がとても効いている。同じ一連の〈「建ぺい率」とか言っとけば気に入ってもらえると思ってたんだ君に〉もとてもいい。「技術屋」の「君」の顔が目に浮かぶようだ。



「短歌研究」の同じ号の大松達知さんによる短歌時評「人物像を軸とした歌」では、私の歌集を取り上げていただき、とてもありがたく拝読。大松さん、ありがとうございました。



写真は、いただきものの群馬の銘酒「大盃」の純米吟醸。火入れ一回の貴重品。〈ふくろかん〉と読むらしい。群馬の日本酒は、私の中では、東の「赤城山」、西の「大盃」が双璧になっている。「赤城山」は、みどり市(旧・大間々町)のお酒で、赤城おろしを思わせる荒々しい辛口。一方の「大盃」は、高崎市倉渕町(旧・倉渕村)のお酒で、「赤城山」に比べるとかなりマイルド、倉渕村を領地にしていた小栗上野介を思わせる理知的な味わい。ありがとうございました。

橋本恵美歌集『のらねこ地図』

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橋本恵美歌集『のらねこ地図(マップ)』(青磁社)を読んだ。

読んでいて、やさしく温かい気持ちになってくる歌集だった。

まず、お子さんの成長を見守る歌に、いい歌が多いと思った。

アイロン台のお寿司屋ごっこ 食細き子に食べさせるネギトロ一丁
頭の中ののらねこ地図(マップ)おとうとに託して兄は巣立ちてゆけり
三人の切符買うとき気づきけり子だけが片道切符であると
ひとりずつ目覚まし時計をもつ暮らし一つの針音きょう遠くなる


三首目と四首目は、お子さんが進学のために一人暮らしを始める前後の歌。

三首目は、下宿先へと旅立つお子さんを、電車で送って行く場面だろう。「片道切符」という一語が、あらためて気づいたさみしさを、ぐっと凝縮しているように思う。

四首目もとてもいい。一緒に住んでいても、起きる時間はバラバラなので、それぞれが目覚まし時計を持っている。これは家族の間で普通にあることだろう。お子さんが自分の目覚まし時計を持って巣立ってしまうのだけれど、そのさみしさを、目覚まし時計の針音が遠くなると表現したところがいい。今まで、少しずつずれてはいたけれど、重なり合っていた時間の一つが、遠くへ行ってしまうというのである。

金木犀の空気満たせば自転車は花の車輪となりて走れり


歌集の中で一番好きな歌。金木犀の咲いているそばで、自転車のタイヤに空気を入れて、タイヤは金木犀の香りの空気で、ぱんぱんになったのだろう。そのタイヤを「花の車輪」と表現したことで、金木犀の花が、自転車の車輪として回っているような不思議な映像が頭の中に浮かんでくる。嗅覚と視覚の両方をくすぐってくれる、とても魅力的な一首だ。

豆腐屋の主人(あるじ)のくれしつり銭の冷えているなり冬至の朝
名無し橋は六歩で渡れる橋なれど主婦を支える頼れる近道
二丁目の川辺マンションのンのところ七夕のころ二羽が入居す
詠草歌すべて出揃い明日の朝野に放つ馬のごとくありけり
絵のまえで親しくなれる三人がレースの帽子について語れり


橋本さんは、「あとがき」に、「毎日楽しいことばかりとは限りませんが、家の中でお母さんが機嫌よく前向きに過ごすことは、家族を照らすことだと感じています。」と書かれている。

私も前向きに生きていかなければと、歌集『のらねこ地図(マップ)』を読んで思ったのだった。



写真は、横浜の野毛にある「BASIL」というイタリアンバルのアンチョビポテトサラダとニシンのマリネ。たまにはこんなオシャレなお店にも行きます。

高木佳子歌集『青雨記』

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高木佳子さんの第二歌集『青雨記』(いりの舎)を読む。
いい歌が本当にたくさんあり、書きたいこともたくさんある。

何から書いていいか分からないほどなのだが、『青雨記』の歌を、ひとことで言うとすると、とても「かっこいい」歌だ。

いろんな歌に、何度もゾクゾクさせられながら読んだ。

最近は、どちらかというと、あまりかっこつけない歌が流行っていたように思うのだが、『青雨記』の歌には、前衛短歌の頃の歌のようなかっこよさがある。

短歌の流れが、少し変わって来るかもしれないと思った一冊だ。

静脈の青を思はす空のもとプール開きの旗(フラッグ)は立つ
Rien(何もなし)とぞ日記に記しし王のこと思ひぬ繊き雨の朝に


一首目、プール開きの旗というのは、いかにも日本的な夏の風物詩なのだが、旗を「旗(フラッグ)」とルビ付きで表記することで、一気に無国籍な感じの風景が立ち上がってくる。

二首目、「Rien(何もなし)」はフランス語。「王」はたぶん中世の王様だろう。平凡な雨の朝から、中世の王の日記まで、かろやかに跳んでゆく。

日常から発想しつつも、日常に埋没しない。そんな歌への向き合い方が、とてもかっこいいのである。

文語をベースとした文体も、歌のかっこよさの源になっていると思う。

「poule au pot(鶏のポトフ)」という連作もとても好きな一連だった。ポトフを作るという料理の歌なのだが、料理をこんなに詩的に詠えるものかと度肝を抜かれつつ、なんだか泣けてくる一連でもあった。ここでは引用しないので、皆さんぜひ歌集を手に取って読んでください。

他にも、例えば次のような歌がいいと思った。

海を見にゆかないのですか、ゆふぐれを搬び了へたる貨車がさう言ふ
芒いま手のかたちしていつせいに指し示すなり風のゆくへを
ゆくらかに点灯夫来て空の鳥海の魚を灯すゆふぐれ
ママいいよぼくこのままでいいと吾子は言ふなり本当にいいか
をのこごは散髪反対と叫んでゐた原発反対に飽いたのだつた
魚(うろくづ)よ、まばたかざりしその眼もて吾らが立ちて歩むまでを 見よ




写真は先日食べたアイスクリーム。私はお酒が好きで、普段はあまり外でこういうものを食べることがないのだが、時間調整のために入った新宿喫茶店で、ふと頼んでしまったもの。たぶん十年ぶりくらい。記念の一枚。

田村元歌集『北二十二条西七丁目』

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私の第一歌集『北二十二条西七丁目』(本阿弥書店)が刊行になりました。

どうぞよろしくお願いいたします。

多くの方からご感想・ご批評をいただいております。ありがとうございます。

※H28.12.7追記

歌集『北二十二条西七丁目』(本阿弥書店)につきましては、版元及びamazonの新品の在庫が品切れになりました。

そのため、私の手元にある在庫をamazonのマーケットプレイスに出品しましたので、もしご興味のある方はamazonでご購入をお願いいたします。新品の未読品です。


【Web上でのご感想・ご批評】

胡麻料理 世沙弥さん 居酒屋の歌を取り上げてくださいました。

砂子屋書房「日々のクオリア」 石川美南さんが春愁の歌を取り上げてくださいました。

something like that 大松達知さんが「よみごたえある歌集・歌書」の一つとして名前を上げてくださっています。

やさしい鮫日記 松村正直さんが「土地に対する愛着」「「日常」を愛する気持ち」などの観点でご批評くださっています。

夕鵙日記 藪内亮輔さんが辛口ながら愛のある批評をしてくださっています。

内山晶太のブログ 内山晶太さんが「世のなかとの折り合いの悪さ」というキーワードでご批評くださっています。

りとむHP掲示板 寺尾登志子さんがコメントしてくださっています。

スピンナヤーン ヤーンさんが、「歌人の「青春の碑」には、いつまでも粉雪が降っているのだろう」という批評をしてくださっています。

緑の風さん 「誰とも変わりない日常にそっと思いをしのばせる」とのご感想と装幀の写真を掲載してくださっています。

熊の掌 短歌日常 熊井熊蔵さんが「平明なところから詩を引きあげてこようというひそやかな志のようなもの」とご批評くださっています。

いただきものに感謝 田中濯さんが「リーマン生活への呪詛ばかりなのだが、じめじめしていなくて、無頼感があるのがよい。」とご批評くださっています。

待宵草子 「おれの知っているタムは、いつも酒場で、旨そうに物静かに、だけどときおり熱く文学論など語りつつグラスを干している。」野原海明さんがお酒の歌をたくさん取り上げてくださっています。

「詩客」の短歌時評 錦見映理子さんが、詳しくご批評くださっています。歌集中の「われ」に「詩情や憧れのようなもの」を読み取ってくださったり、「田村の孤独には、常に何者かが寄り添っている」などのご批評をいただいております。

 高木佳子さんが、「穏やかに事象を見つめながら、その事象をとおして、自らの生き方を照射してゆくような歌群」とご批評くださっています。

砂子屋書房「日々のクオリア」 棚木恒寿さんが「物を見つめるまなざしが丁寧で懸命であり、詩にも生活にも率直さがある」とご批評くださっています。

はじめてのうずら日記 「忙しい勤務の日々にあっても(そこでも多くのことを学ぶなあと思いつつ)、ずっと大事にしてきた詩的世界を手放さない決意を常に確認している」とご批評くださっています。

砂子屋書房「月のコラム」 なみの亜子さんが、山田航さんの歌集『さよならバグ・チルドレン』とともに論じてくださっています。

シュガークイン日録Ⅱ 吉川宏志さんが、「普遍的な〈詩〉に言葉を押し上げようとする意識は、かなり薄いような気がします。あるいは「普遍的なもの」をもはや信じておらず、〈私〉の身のまわりのできごとを楽しむしかない、という断念があるのだろうか、とも思います。」とご批評くだっさています。

MPPL 詩人の斉藤倫さんが、「サラリーマンのアンセムとしても愛唱できてしまう」とご批評くださっています。

気まぐれ徒然かすみ草 近藤かすみさんが、ブログで2回に渡ってご批評くださっています。

吹ク風ト、流ルル水ト。 鎌倉の「ヒグラシ文庫」の中原蒼二さんがブログでご紹介くださいました。

something like that 大松達知さんがブログで3回に渡りご紹介くださいました。

・辰巳泰子さんから第二回辰巳泰子賞をいただきました。

ダストテイル 西巻真さんがブログでご批評くださいました。歌集の後半部分について、率直な注文をいただいております。

週刊俳句 俳人の松尾清隆さんが、直喩の用いられた短歌の例として二首引いてくださっています。

「詩客」の短歌時評 田中濯さんが、内山晶太さんの『窓、その他』とともに取り上げてくださっています。

・ブログ「つたいあるけ」で、沼尻つた子さんが取り上げてくださいました。

・Twitterでの皆さんのつぶやきはこちらにまとめています。


【短歌総合誌・結社誌でのご批評】

・「歌壇」2012年10月号に大辻隆弘さんが書評「世界との距離」をご執筆くださいました。

・「短歌研究」2012年10月号の短歌時評「人物像を軸とした歌」で、大松達知さんが取り上げてくださいました。

・「短歌」2012年10月号に日高堯子さんが書評をご執筆くださいました。

・「未来」2012年10月号の「その日その日」というコーナーで田中槐さんが「短歌の中の季語」というタイトルでご紹介くださいました。

・「短歌研究」2012年11月号の「最近刊歌集・歌書評・共選」に、柳澤美晴さんが書評をご執筆くださいました。

・「梧葉」VoL.35(2012年10月25日発行)の「最近の秀歌わたしのベスト3」で、大井学さんが一首ご紹介くだいました。

・「炸」2012年11月号に、小川昌雄さんが書評をご執筆くださいました。

・「響」2012年11月号の「新刊歌集秀紹介」で、綾部光芳さんが取り上げてくださいました。

・「まひる野」2012年11月号の時評「「われ」のスケール」で、米倉歩さんが詳しく論じてくださいました。

・「歌壇」2012年12月号の「年間時評」で、田中槐さんが取り上げてくださいました。

・「短歌往来」2012年12月号に、棚木恒寿さんが書評「かなしみに満ちたユーモア」をご執筆くださいました。

・「かりん」2012年12月号の「歌集紹介」で、大竹明日香さんが取り上げてくださいました。

・「現代短歌新聞」2012年12月号に、田中拓也さんが書評「幸福にならうと思ふ」をご執筆くださいました。

・「うた新聞」2012年12月号に、服部真里子さんが書評「あたたかく寄り添う詩情」をご執筆くださいました。

・「短歌往来」2013年1月号のエッセイ「靑一髪」で、塚本靑史さんが一首ご紹介くださいました。

・「短歌往来」2013年1月号の特別作品で、今野寿美さんが、『北二十二条西七丁目』と、内山晶太さんの『窓、その他』のタイトルを詠み込んだ一首を発表してくださいました。

・「NHK短歌」2013年1月号で、花山多佳子さんがスーパーの歌を二首、取り上げてくださいました。

・「毎日フォーラム」2012年12月号の「今月のうた」で、一首ご紹介いただきました。

・「短歌人」2013年1月号の「三角點」で、内山晶太さんが取り上げてくださいました。

・「熾」2013年1月号の「歌集・歌書を読む」で、中川弓子さんが取り上げてくださいました。

・「歌群」2012冬季号の「歌集紹介」で、岡田三朗さんが取り上げてくださいました。

・「りとむ」2013年1月号に、松村正直さんに書評「自分自身で見つける生き方」を、岩内敏行さんと樋口智子さんに一首評をご寄稿いただきました。

・「短歌」2013年1月号の「新年を祝う名歌100首選」で、佐藤弓生さんに取り上げていただきました。

・「棧橋」113号(2013年1月20日発行)の「現代短歌合評」で、松尾祥子さん、辻本美加さん、才野洋さん、大松達知さんに取り上げていただきました。


【マスコミ掲載】

・2012年7月22日付けの東京新聞、7月30日付けの朝日新聞、9月30日付けの毎日新聞で、新刊歌集の紹介記事を掲載いただきました。

・2012年8月18日付けの上毛新聞の文化面に、歌集出版についてのインタビュー記事を掲載いただきました。

・2012年9月17日付けの毎日新聞の「短歌月評」で、大辻隆弘さんが、永田淳さん、生沼義朗さんの歌集とともに論じてくださっています。「30代の覚悟」というタイトルです。

・2012年9月23日付けの神奈川新聞の「歌壇時評」で、中川佐和子さんが取り上げてくださいました。

・2012年9月24日付けの神奈川新聞ほかの「短歌のいま」で吉川宏志さんが取り上げてくださいました。

・2012年12月24日付けの毎日新聞の「2012年回顧・短歌」で、大辻隆弘さんに取り上げていただきました。

【2013.1.27更新】



永井祐歌集『日本の中でたのしく暮らす』

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永井祐歌集『日本の中でたのしく暮らす』(BookPark)を読む。

ずっと前に読んでいて、何度か読み返していたのだが、紹介が遅くなってしまった。

永井さんとは「早稲田短歌」と「太郎と花子」との合同歌会で初めてお目にかかったのだった。もう十年近く前のことだろうか。染野太朗さんや五島諭さんもその会にいらっしゃった。なんとも懐かしい思い出である。

永井さんの歌は、一部の作品ばかりが取り上げられ、様々な評者からいろいろに言われていたが、歌集一冊を読み通すと、従来のイメージとは全く違った世界が立ち上がってくる。

非常にくっきりとした主人公の像が読者に伝わって来るのだ。一人っ子で、アルバイトをしていて、レンタルビデオやマンガ喫茶が好き。歌集のタイトルとは裏腹に、ちょっとさみしくて、切ない青春を生きている。そんな主人公である。

なついた猫にやるものがない 垂直の日射しがまぶたに当たって熱い
1千万円あったらみんな友達にくばるその僕のぼろぼろのカーディガン


一首目は歌集の巻頭歌。自分になついてくれた猫にあげるものを、〈私〉は何も持っていない。そんな〈私〉の現実をあぶり出すかのように、夏の日差しが照りつけてくる。
二首目は、ぼろぼろのカーディガンを着ている〈僕〉なのに、もし1千万円あったらみんな友達に配ってしまうのだという。

この歌集のテーマの一つは、〈所有していない〉という現実である。あるいはそれをもっと積極的に言い換えれば、〈所有しない〉という思想と言ってもいいかもしれない。レンタルビデオやマンガ喫茶などの、物を〈借りる〉場面がよく出てくるのも、同じテーマの影絵になっているように思える。

はじめて1コ笑いを取った、アルバイトはじめてちょうど一月目の日
食事の手とめてメールを打っている九月の光しずかなときを
僕に来たメールに僕は返信をその文体をまねして書いた
歩いていくとだんだん月はマンションの裏側へもう見えなくなった


こんな日常のちょっとした瞬間を切り取った歌も魅力的だ。特に二首目には、静謐な時間の漂いが感じられて、大好きな一首である。

この歌集を読んでいると、不思議なことに、読みながらときどき耳がピクリと動いたりする。普段あまり使わないような神経を、永井さんの作品が刺激するのだろうか。

アルバイト仲間とエスカレーターをのぼる三人とも一人っ子
山手線とめる春雷 30才になれなかった者たちへスマイル
君に会いたい君に会いたい 雪の道 聖書はいくらぐらいだろうか




写真新宿東口の「石の家」のネギみそ。新宿で歌会をやっていたころ、「りとむ」の三次会でよく行っていたお店の定番のおつまみ。「りとむ」の会員はこういうものを食べて歌を詠んでいる(一部の人ですが)。
今年は注目の歌集がたくさん出ていて、続々と紹介したいのだが、なかなか追いつかない。

加藤治郎歌集『しんきろう』

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加藤治郎さんの第八歌集『しんきろう』(砂子屋書房)を読む。

というか、ずっと前に読んでいたのだが、色々と立て込んでいて、ブログでの紹介が遅くなってしまった。

朝の二錠を飲むには水が冷たくてしばし薬はくるくるまわる
アスファルトから靴を引き抜くゆらゆらと炎天の首都ただひとり行く


コップの水で薬を飲んだり、炎天下の道を歩いたり、ごくありふれた日常の場面だ。一首目は、口の中で薬がくるくる回っているという切り取り方がとても面白い。二首目は、「アスファルトから靴を引き抜く」という表現が、アスファルトも溶け出すような炎天の暑さを思わせて説得力がある。

こんなさらっと詠った歌にも、細やかなレトリックが用いられているところがすごい。こういう歌を読むと、頭の中にドーパミン(のようなもの)がじゅわーっと湧いてくるのを感じる。

あるときは青空に彫るかなしみのふかかりければ手をやすめたり
のぞみから送ろうとするひとひらのメールは暗い壁にぶちあたる
さくら花吹き寄せられて生涯の終りに首都の車輛を止める
残業のざんのひびきが怖ろしい漏洩前のくぼんだまなこ


私自身、会社勤めをしながら歌を詠む者として、四首目の「残業のざんのひびきが怖ろしい」には、素直に共感。



写真は、関内の「No-Chair」という立飲み屋さんのしめさば。仕事帰りによく寄るお店で、料理がとても美味しい。19時30分まではタイムサービスで一部のドリンクが安いが、なかなかその時間にはお店に行けない。「ざんのひびき」におののく日々。


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