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札幌・西林【歌人の行きつけ その5】 [歌人の行きつけ]

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昨年末、札幌に帰省した際に、久しぶりにコーヒープラザ西林に立ち寄った。

(札幌は大学時代の四年間住んでいた私にとっては第二の故郷の街。ついつい帰省という言葉を使ってしまう。)

西林は「にしりん」と読む。

中城ふみ子が札幌医大病院に入院中に、よく訪れた喫茶店として有名。

山名康郎さんの『中城ふみ子の歌』(短歌新聞社)に、次の文章がある。

ふみ子は体調の良いとき、よく病院を抜け出して絵を観に行った。いつも電話で山名が呼び出されてお供をさせられた。山名の勤め先の北海道新聞社が二、三分のところにあった。画廊へ行く前に茶房の「西林」でコーヒーを飲みながら歌のことなど語り合った。少女のように明るい笑顔だったが、ときどき軽い咳をしていた。会うたびに窶れが目立った。


当時の西林には、金魚が泳いでいる水槽があり、ある日、ふみ子がレジの伝票に書いて山名さんに見せたのが次の一首だったという。

わが内の脆き部分を揺り出でて鰭ながく泳ぐ赤き金魚は


現在の西林は、地下鉄の大通駅とすすきの駅の間の地下街ポールタウンから、「4プラ」というファッションビルの地下に入ってすぐのところにある。

店内には、1948年(昭和23年)に改装したときの、お店の外観写真が飾ってあり、当時は路面店だったことが分かる。

写真は、西林で食べた「カツライス」。昭和24年からの味だという。見た目はカツカレーだが、ソースはカレーではなく、オリジナルの甘めのさっぱりとしたソース。とてもおいしかった。

店内もゆったりとしていて、リラックスできる。

札幌訪問の際は、ぜひ西林へ。



新宿三丁目・どん底【歌人の行きつけ その4】 [歌人の行きつけ]

昨日、短歌の友人と新宿で歌話会(飲み会)。

新宿東口の「千草」で飲み始め、三丁目の「どん底」、バーの「オールド・パル」の三軒をハシゴ。

作品や時評の話で盛り上がり、刺激をたくさんいただいた。

二軒目に行った「どん底」は、新宿で勤務していた二十代の頃によく同僚と飲みに来ていた店で、1951年創業の老舗の居酒屋である。その名も「どん底カクテル」という強めのカクテルが有名。ピザも美味しい。

この「どん底」は、歌人の小中英之さんの行きつけのお店だったとどこかで読んだことがあったのだが、出典をずっと思い出せないでいた。

おそらく総合誌の追悼文だったのではないかと当たりをつけて、国会図書館HPのNDL-OPACで検索してみたところ、「歌壇」の2002年3月号が最初にヒット。たまたま家にその号が残っていたのでめくってみたら、三枝昂之による追悼文「暦の向こうがわ」に次のような文章があった。

小中は不思議な男で、あるとき私の前にふいに兄貴分として現れた。昭和四十年代の、多分半ばである。働いている気配がないのに羽振りが好く、引き連れられてよく新宿の飲み屋に行った。どんぞこ、のらくろ、といった店がなつかしく思い出される。


三枝の追悼文での表記は「どんぞこ」となっているが、私の行った「どん底」が1951年(昭和26年)の創業(「どん底」のホームページによる)であることや、どちらも「新宿の飲み屋」であることを考えると、「どんぞこ」は「どん底」のことだと思ってほぼ間違いないだろう。

長い間、もやもやしていた記憶が急にすっきりした。

【H24.2.12追記】
2/10に、ある先輩歌人の方と飲んだ時、「どん底」については、小中英之さん自身も何かの文章に書いているということを教えていただいた。たぶんエッセイか何かだろうか。このブログの企画「歌人の行きつけ」は、テキストに裏付けられた情報で記載するのが根っこの方針。小中さんの文章は、「短歌人」の掲載だろうか、総合誌だろうか。見つけ出すのは簡単ではないと思うが、長期的な課題として探してみたい。


鎌倉・野菊【歌人の行きつけ その3】 [歌人の行きつけ]

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11/25(金)は早めに帰れたので、鎌倉の「野菊」へ。初めての訪問。

駅から小町通を歩いていくと、左側に見えるこの看板が目印。

この「野菊」も、大下一真さんの『山崎方代のうた』(短歌新聞社)で、山崎方代がよく行ったお店として名前が上がっている。

店内はテーブル席が三つに、カウンターが四席。こじんまりとしたお店で、メニューを見ると、昼は定食屋さんといった趣き。

瓶ビールと「カツ丼のあたま」を頼む。

「カツ丼のあたま」とは何かというと、カツ丼のご飯なしのもので、言わば「カツとじ」。メニューにはない。

鎌倉の立ち飲み屋「ヒグラシ文庫」で飲んでいるとき、たまたま隣にいた女性が、「野菊」に行くなら「カツ丼のあたま」がオススメと教えてくれたのである。

甘い味付けがやさしい。

方代が飲んでいたころと、店内の雰囲気はほとんど変わっていないのではないか。そんな昭和の雰囲気を感じるお店だった。

また、飲みに行こう。

鎌倉・いさむ【歌人の行きつけ その2】 [歌人の行きつけ]

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9/24(土)は鎌倉の居酒屋「いさむ」へ。

大下一真さんの『山崎方代のうた』(短歌新聞社)に、山崎方代がよく行ったお店の名前がいくつか紹介されていて、「いさむ」もその中にある一店。

お店は、小町通から横道に入ったところにある。今回、初めて訪問。

ビールとおつまみを注文して、女将さんに「山崎方代がよく来ていたと聞いたのですが」と尋ねると、方代の思い出話をいろいろとしてくださった。

方代が来ていたころは、お店は小町通沿いにあったとのことで、今のお店は移転後のもの。

ただ、カウンターに作り付けの熱燗器は、前のお店から持って来たものだという。

「鎌倉五山」という日本酒を注文して、きっと方代も使っていたであろう熱燗機に、自分でお銚子をぽちょんと沈める。

お酒もおつまみもとても美味しく、女将さんをはじめ、店員さんも親切にしてくださって、しあわせに酔っぱらう。

写真のポテトサラダは、三種類のジャガイモを混ぜて作っているという。

絶品。


伊香保温泉・福一【歌人の行きつけ その1】 [歌人の行きつけ]

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群馬の実家の家族や叔父や叔母たちと、伊香保の温泉旅館の「福一」に行ってきた。

祖父の三回忌に親戚で集まって温泉にでも行こうか、という声が上がり、温泉なら伊香保の「福一」に泊まってみたいと、僕が提案していたのである。

というのも、この「福一」は、齋藤茂吉と土屋文明が顔を合わせる際に、しばしば利用していた温泉旅館だからなのだ。

藤岡武雄の『新訂版・年譜 齋藤茂吉伝』の年譜で確認すると、茂吉と文明が一緒に「福一」に泊まったのは、少なくとも三回が記録に残っている。

最初が、昭和3年6月23日・24日で、このときは『左千夫歌集』編集のために泊まったのだという。その後も、昭和6年11月と、昭和8年の4月に、茂吉と文明は「福一」に泊まっている。

二人で「福一」に泊まったときの歌が残っていないだろうかと思い、茂吉と文明の歌集を当たってみたが、それらしい歌は見つからなかった。最初の訪問が、『左千夫歌集』の編集が目的だったように、二人の「福一」訪問は、歌作りのためではなく、もっと実務的な打合せのためだったのかもしれない。

それと、この「福一」、偶然にも僕の祖父母が新婚旅行で訪れた宿だったという。昭和24年の1月、満1歳になる父を連れて、祖父母がやって来たのだ。当時、旅館には赤ん坊が食べられるような柔らかいものがなく、伊香保の街まで白魚を買いに行ったという思い出話を、祖母がしてくれたのが印象に残っている。

さて、茂吉と文明の行きつけだった「福一」の、温泉のほうはどうだったかといえば、感想は、「・・・。」である。

宿に着いて、石段街を一通り散策した後、美味しい料理と地元の日本酒に舌鼓。その後は親戚一同でカラオケ大会。ちと飲みすぎて、翌日はチェックアウトギリギリまで二日酔いでダウン、という始末。結局、温泉に一度も入らないまま、旅館を後にすることになってしまったのだ。。親戚一同からは顰蹙だったが、お酒をこよなく愛した祖父なら、笑って許してくれるのではないだろうか。

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