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歌集『北二十二条西七丁目』の在庫について

おつかれさまです。

田村元の第一歌集『北二十二条西七丁目』(本阿弥書店)につきましては、版元及びamazonの新品の在庫が品切れになりました。

そのため、私の手元にある在庫をamazonのマーケットプレイスに出品しましたので、もしご興味のある方はamazonでご購入をお願いいたします。新品の未読品です。

どうぞよろしくお願いいたします。


歌集 北二十二条西七丁目 (りとむコレクション)

歌集 北二十二条西七丁目 (りとむコレクション)




緊急シンポジュウムのお知らせ

下記のとおり東京で短歌の緊急シンポジュウムを開催します。

ご都合が合えば、ぜひご参加ください。

 * * *

緊急シンポジュウム「時代の危機と向き合う短歌」のご案内


戦後七十年、安保法制化など今年は時代の問題への関心が短歌でも高まった。加えて去年から四年前の震災を詠んだ作品を収めた歌集出版も目立った。
こうした時代の諸問題、特に政治の言葉に短歌の言葉はどう向き合うべきかを問うシンポジウムが九月に京都で開かれ、その熱気を受けて東京でも開催します。

・プログラム
1 提言 佐佐木幸綱
2 講演 永田和宏「危うい時代の危うい言葉」
3 ミニトーク 今野寿美「時代の中の反語」
4 パネルディスカッション 「平和と戦争のはざまで歌う」
   司会・吉川宏志、パネラー 染野太朗・田村元・三原由起子

・平成27年12月6日(日)早稲田大学大隈大講堂(大隈講堂1階)午後1時~5時
 12/3追記:小講堂から大講堂に会場を変更しました。

・定員1,000名 資料代1000円
 12/3追記:1,000名の大講堂に会場を変更しました。

・主催  強権に確執を醸す歌人の会

・後援 現代歌人協会、日本歌人クラブ

申込みは以下のどちらかの方法でお申し込み下さい。(当日受付も可能ですが、できれば12/4までにお申込みをお願いします。)

 メール tankasympo@gmail.com
 FAX 日本歌人クラブ気付緊急シンポ係 03−3280−3249

田村元第一歌集『北二十二条西七丁目』批評会のご案内




 このたび、田村元の第一歌集『北二十二条西七丁目』(本阿弥書店)の批評会を行うことになりました。ぜひみなさんのご出席をたまわりたく、ご案内いたします。

                   記

1 日時 
 平成25年5月25日 (土) 13:30~16:30(13:00受付開始)

2 会場
 Cafe ルノアール ニュー八重洲北口店 5階会議室
 東京都中央区八重洲1−7−4 矢満登ビル1階(東京駅八重洲北口徒歩5分)
 TEL 03−3274−7788

3 パネリスト(敬称略)
 本多稜(短歌人)、高木佳子(潮音、壜)、寺尾登志子(りとむ〈司会〉)、滝本賢太郎(りとむ)

4 総合司会
 和嶋勝利(りとむ)

5 懇親会
 批評会の後、17:00より、近くの別会場で懇親会を行います。場所は当日、お知らせいたします。こちらもぜひご参加ください。(素材屋 八重洲店になりました。)

6 会費
 批評会=1,500円  懇親会=3,500円(予定)

7 お申込みの方法
 ご出席くださいます場合は、5月10日(金)までに、お手数ですが、下記の記載事項をご記入の上、お申込み用メールアドレスまでお申し込みください。

【お申込みメール記載事項】
・お名前(ふりがな)
・ご所属
・ご住所
・電話番号
・参加形態(下記(1)〜(3)のいずれか)
(1)批評会+懇親会両方参加
(2)批評会のみ参加
(3)懇親会のみ参加

 お連れの方がいらっしゃいましたら、その方の、お名前(ふりがな)、ご所属、参加形態(上記(1)〜(3)のいずれか)のご記入をお願いいたします。

【お申込み用メールアドレス】
kita22nishi7★gmail.com
 ※「★」を@に置き換えてください。

 なお、会場の席に限りがありますので、満席になった場合は、先着順の受付とさせていただきます。

 どうぞよろしくお願いいたします。

〈お問い合せ先〉
田村元第一歌集『北二十二条西七丁目』批評会事務局
kita22nishi7★gmail.com
 ※「★」を@に置き換えてください。


「棧橋」113号

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「棧橋」113号(2013年1月20日発行)を読んだ。

巻頭の大松達知さんの「小舟」96首が圧巻だった。

お子さんの誕生と、親しい友人の死をテーマにした大連作。

まずは、お子さんの誕生を詠んだ歌から。好きな歌や、いいと思う歌がたくさんあってきりがないので、お酒が登場する歌から選んでみた。

赤子から離れて戻り来し家(いへ)に氷の溶けて白角(しろかく)はあり
おほげさに言へば命に一献の朝ひとり飲む父として飲む
吾子のため、否、吾子に会ふわれのため乾杯のみで帰る宴席


一首目は、出産に立ち会った後、ひとり自宅に戻ってきたときの歌。テーブルの上に氷の溶けた白角(サントリーのウイスキー)のグラスが置きっぱなしになっている。おそらく前の夜、晩酌をしている途中に、そろそろ生まれそうだという連絡を受けて家を飛び出していったのではないか。氷の溶けた白角が、そんな場面まで読者に想像させるところがいい。
二首目は、「命に一献」というフレーズに惹かれる。すがすがしく、かつ、感動的。お酒を詠んだ名歌でもあると思う。
三首目では、宴会を途中で帰るさみしさを、吾子に会う喜びが圧倒的に凌駕している。上の句の言い換えが、嬉々とした様を伝えているし、下の句の「Ka」音の押韻も心地よい。

一方、友人の死を悼む歌では、次のような歌に惹かれた。

ツイートとツイートの間の十五分ひとり泣きしとツイートをせず
君の通夜までの昼間をわが立ちて三(み)つの授業で笑はせにけり


また、渡辺南央子さんの「雲の扉」72首にも注目。

ブナの木のテーブルの下ふたり子の座高揃へし電話帳ありき
飲み過ぎて言葉過ぎたり帰り来て滝行のごとシャワーに打たる


私もよく飲み過ぎて反省することがあるので、二首目にとても共感。



同誌の「現代短歌合評」では、松尾祥子さん、辻本美加さん、才野洋さん、大松達知さんに、拙歌集『北二十二条西七丁目』を取り上げていただきました。

とても丁寧な鑑賞、ありがとうございます。



写真は、正月に群馬帰省したときに食べた、つけ汁うどん。家庭の消費量ベースでは、群馬は香川県に次ぐうどん県。うどん屋さんもたくさんある。

松坂弘歌集『安息は午後に』

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松坂弘さんの第十一歌集『安息は午後に』(砂子屋書房)を読む。

電車のゆれ巧みに利用し化粧するその集中力をあはれと言はむ
預貯金をゼロ届けする国会議員四十人超 そんなバカなとおもふ
オレだつて五十万ぐらゐの預金あるに国会議員さん嘘などつくな


最初に注目したのはこんな歌。一首目は、電車の中で化粧をしている女性について、二首目と三首目は、国会議員の資産公開について詠んだ歌。どの歌からも、現代の世相に対して、一言もの申したいという気持ちが伝わってくる。特に、自分に引きつけて詠んだ三首目に説得力があると思う。私と同世代の三十代や、もっと若い二十代の歌人には、あまりこういう作品はないように思う。若い歌人にも、もっと社会に対する批評的な歌を詠む歌人がいていいのではないだろうか。


噴き上がる水は大小の玉をなし身もだえるさまに天を目指せり
わが影も混じりてあらむ槻の葉の影をふみつつ渡りはじめつ
午後の四時江戸川上空をみんなみに雁とともども往く心かも
「では、また」と改札口にわかれしがその輩(ともがら)と「また」はなかりし


歌集の後半には、こんな存在自体を問うような歌があらわれる。天を目指す噴水、わが影の混じる槻の葉の影、江戸川の上空を往く雁、改札口で別れて以来、会うことのなかった仲間。どの歌も、具体的な場面を通じて、人生や時間というものの重みを提示していて、しんとした抒情を感じさせる。


いま妻が半透明のラップもて包みゐる物を問ふことをせず
雨の夕べ嫁ぎ久しき娘と会ふ妻は知れども秘密めくこころ


こんな家族と過ごす時間を詠んだ歌も、読んでいて、とてもいとおしい気持ちになってくる。


道端にだれか落したる葱ふめば葱おこりしやわれを滑らす


この歌のような、ときに顔を出すユーモアも楽しい。バナナではなく、葱という選択も面白い。



写真は先日作ったニラ玉。ニラは私の好物の一つ。

「短歌」2012年11月号

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「短歌」2012年11月号を読む。

第58回角川短歌賞は、藪内亮輔さんの「花と雨」が受賞。

おまへもおまへも皆殺してやると思ふとき鳥居のやうな夕暮れが来る
雨はふる、降りながら降る 生きながら生きるやりかたを教へてください


一首一首の中にも、50首の連作の中にも、強弱というか、緩急というか、抑揚のようなものがあって、そこが読んでいてとても心地よかった。

というのが、一読後の感想。

勿体ないので、引用は二首だけにしました。ぜひ雑誌を買って読んでください。

藪内さん、おめでとうございます。



同じ号の岩内敏行さんの評論「若手歌人による近代短歌研究・佐佐木信綱」にも注目した。

近代短歌を、新詩社(明星)vs根岸短歌会(馬酔木・アララギ)という二項対立の図式で整理してしまうと、例えば、「心の花」の佐佐木信綱をどう位置づけるかという問題が残る。(茂吉は信綱を「折衷」派みたいに位置づけているそうだ。)

岩内さんは、そうした二項対立を丁寧に解きほぐしながら、短歌史に、佐佐木信綱・前川佐美雄・塚本邦雄・佐佐木幸綱という、新たな一つの縦糸を読み取ろうとしている。(詳しくは岩内論文をご覧ください。)

願はくはわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはばや


という信綱の一首に、「他者に向かって開かれた心」を読み取っているところにも胸を打たれた。

意欲的な力作評論だった。

岩内さんは「りとむ」の友人だが、ずっと前から近代短歌をテーマの一つとして粘り強く取り組まれている。尊敬すべき歌友(酒友?)のひとり。



写真は、札幌焼き鳥チェーンの「串鳥」の見事な赤提灯。「串鳥」は、お通しで温かい鳥スープが出るのが定番。東京では、吉祥寺と荻窪に進出している。中央線沿線の方がうらやましい。

原阿佐緒歌集『涙痕』

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ある勉強会のために原阿佐緒の第一歌集『涙痕』(大正2年)を読んでいる。

茂吉の『赤光』や白秋の『桐の花』と同じ年に出た歌集。

この涙ついにわが身を沈むべき海とならむを思ひぬはじめ
おなじ世に生まれてあれど君と吾空のごとくに離れて思ふ


冒頭あたりの歌から二首。「涙」とか「海」とか「空」とか、かなり抽象的な言葉が並ぶ「明星」的な詠いぶり。(実際、原阿佐緒は「明星」から出発している。)とは言っても、与謝野晶子のように自我でぐいぐい押して行くタイプではなく、恋を嘆いたり、うらんだりする歌が多い。

歌集全体に、抽象性の高い歌が並んでいて、歌にとっかかりがないと言うか、正直、読み通すのがしんどかったのだが、

春はよし恋しき人のかたはらによきことかたりほゝゑめるごと


こんな名歌性のある歌がひょっこりと顔を出したりする。

湯をくみて馬をば洗ふ馬だらひに円き鏡をうつす大空
煤びたる太き竹鍵白泡の酒煮る家に生い立ちしわれ
わが叔父が碧巌録を手にしつゝ打ちもだしたる秋のさびしさ


歌集中盤には、「馬だらひ」「酒煮る家」「碧巌録」などの具体を取り入れた歌があって、こういう歌のほうが現代の視点からはしっくり来るように思った。



先日、「りとむ」の歌会で、ある会員の方から、「田村さんのブログを読んで、Hさんの歌集を買いました。」というお言葉をいただいた。紹介した歌集を実際に手に取っていただけたのはとても嬉しく、励みになるお言葉だった。ありがとうございました。



写真は家の近所の居酒屋野菜サラダ。サラダが新鮮で美味しいお店は、他の料理もまず間違いない。

矢後千恵子歌集『非時』

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矢後千恵子さんの第二歌集『非時』(本阿弥書店)を読む。

タイトル読み方は、ときじく。

寒に身の置きどころなき一月や星辰ただす天のみじろぎ
砂風呂に無援の五体あたたかし埋め残せる春寒むの顔
芋焼酎甘きにうるむ春灯にフカの湯引きの骨こりと噛む


一首目のような大きな景を捉えた歌は、俳句も嗜まれる矢後さんらしい歌。結句の「天のみじろぎ」に俳味を感じる。二首目は、さらにユーモアの方向に踏み込んでいる。砂風呂に入った身体を「無援の五体」というのが面白い。三首目は、芋焼酎もフカの湯引きも、なんとも美味しそうなのだが、やはり上の句の「甘きにうるむ」の「うるむ」が効いているのだろう。視界が一瞬もやっとしてきたところで、下の句の「こり」という歯ごたえ。左党にはたまらない一首。

二十年ぶりに泊りし娘の家におおつごもりの雪をよろこぶ
裏木戸はこわれたままに年を越し枇杷も八つ手もひそやかに咲く


一首目の歌は、かなり久しぶりに泊まった娘の家で、大晦日の雪を喜んでいるという歌。何も特別なことは言っていないのに、この歌にとても惹かれるのは何故なのだろう。「家」というものの温かさが、一首の背後から伝わってくるからだろうか。二首目もとても好きな歌。本当はお正月までに直しておきたかった裏木戸なのに、ドタバタしていて手が回らなかったのだろう。壊れた裏木戸を、枇杷と八つ手がひっそりと彩る。こういう美意識には、とても共感を覚える。どこか俳句的なところが、この歌にもあるかもしれない。

他には次のような歌に惹かれた。

人の行く道が恵方と人波に乗るも目出度き門前通り
羊羹を買わねば明けぬ新年の成田の坂を上って下りて
寝台車〈出雲〉に仰ぐ星の数こころはすでに神に傾く
捨て切れぬふるさとを持ち母を持ち男はだんだんいい顔になる
幾たりの死を看取りたる医師なりき今死者としてしんと眠れる
べそかくんじゃないよと風が背ナを押すおまいはつおい女の子だろ




写真は夏に群馬帰省したときに食べた「峠の釜飯」。駅弁としては全国的に有名。具が地味なので、子どもの頃はあまり好きではなかったが、最近、妙にこういうものが美味しく感じるのである。

生沼義朗歌集『関係について』

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生沼義朗さんの第二歌集『関係について』(北冬舎)の書評を「短歌往来」2012年11月号に寄稿。

〈批評性〉というキーワードで一冊を読み解いたもの。生沼ファンの皆様、機会がありましたらご覧ください。

詳しい感想は書評に譲りますが、書評で取り上げた歌の他に、惹かれた歌は次のようなもの。


地上にて有象無象のうごくさま神にあらねば二階より見つ
百日紅ゆらす微風の吹く午後はうしろに誰も立たないでくれ
似たような顔の並びし大部屋に大和民族おしなべて鬱
動詞よりつきし地名をかりそめに過ぎることありたとえば押上
夜半までネットに向かう、海底の線路をあゆむこころもちもて
シーチキンをホワイトソースに入れたれば素性分からぬ食感となる
クール・ビズと呼ばるるらしも収賄で逮捕されたるごとき格好
何処かで見た顔とも思う酔いのなかラーメン屋に見る顔なればこそ
ついてくる沢庵をむしろ食べるためカツ丼頼むこともありたり
人混みに名を呼ばれたり何処よりの声か判らずまずは振り向く




写真は横須賀中央の居酒屋のランチメニューのまぐろ丼。(前々回のネギトロ丼とは別のお店。)胡麻だれに漬けてあって、まろやかな味わい。750円。

辰巳泰子歌集『いっしょにお茶を』


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辰巳泰子さんの歌集『いっしょにお茶を』(沖積舎)を読む。

読み始めるとなかなか止まらなくなる歌集というのがあって、この一冊もそうだった。

がらーん橋このさき往かばずどーん橋暗渠にかかる戸板のごとき
猫抱いてもやんもやんとする君と家のうちらに光が及ぶ


一首目は、一瞬先は闇だとか、未来のことは分からないとか、歌意はそういうことだと思うのだが、そういうことよりも、「がらーん橋」「ずどーん橋」という擬音のような造語のような言葉の魅力を、素直に楽しめばいいのだと思う。二首目もそうだ。「もやんもやん」が、もやもやしているような、まったりしているような、猫とじゃれあっているような、とても幅のある表現であるところがとてもいい。人間の感情とか、雰囲気とか、そもそもかっちりとした言葉で表すことのほうが無理なのだと、改めて気づかされる。

いまひとたび逢わんと言いておおかたは逢わずなりゆく襤褸の駅に
眠り際いつもあなたの手を嗅いで星屑の底へ落ちてしまえた
愛なくてぐずぐずかたちに収めゆきし若ければ肉をなかだちとして


歌集中で惹かれた歌の多くが、男女の逢いと別れを詠ったものだった。一首目の「襤褸」は「らんる」と読み、ぼろきれのこと。四句目まではすっと入って行けて、結句の「襤褸」と「駅」の取り合わせでぐっと詩に昇華する。二首目は、浪漫的な下の句を導き出すのが、「手を嗅いで」という動物的な仕草であるところが面白い。三首目の「ぐずぐず」「肉をなかだちとして」も巧みな表現だと思う。

と、理屈を書いて来て、ちょっと「もやんもやん」としている。辰巳さんは、事態のかなり向こう側のことを詠んでいると思うのだが、それを言葉で説明するのが難しい。一首一首の背後から、強いあこがれのようなものを感じる歌集と言ったらいいだろうか。

ここでは敢えて引用しないけれど、巻末の一首がとても印象的だった。ぜひ皆さん、手に取ってください。

他に惹かれたのは、次のような歌。

握手して街の半(なか)らに別れしはつゆくさの藍ほど揺れのこる
どうやって帰っただろう駅までをゆうやけぐもに乗ったんじゃないかな
電飾が樹木をさらに暗くした もともとくらい いのちというは
あした掘る馬鈴薯の名はつきあかり酔いて農夫の言い違えたり
受け取った愛に自問の夜を明かす一匹のいわしなれど回遊す
右も左もわからぬ場所でバスを降り星から星へと歩くようでした




写真はある日のティータイム。私はお酒が好きなので、あまりこういう甘いものは食べないのだけれど、たまにはこんな日もあります。

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