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山田航歌集『さよならバグ・チルドレン』

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山田航さんの第一歌集『さよならバグ・チルドレン』(ふらんす堂)を読んだ。

歩き出さなくてはならぬかなしみを犬をからかつてごまかしてるね
地下鉄に轟いたのちすぐ消えた叫びがずつと気になつてゐた
交差点を行く傘の群れなぜ皆さんさう簡単に生きられますか


生きにくさをテーマにした歌が多い。一首目は、誰かに語りかけているようでいて、自分自身との対話のようにも思える。二首目の地下鉄に轟いた叫びは、他者の声であると同時に、自らの内から湧き上がってくる叫びでもあっただろう。三首目は、胸の中にわだかまっている、生き難い思いの率直な吐露である。

こうした歌は、同じような思いを抱いている読者に、共感という回路を経て、強く繋がって行くだろう。

目覚めぎは僕はひとつの約束を胸に浮かべたまま山羊となる
カフェオレぢやなくてコーヒー牛乳といふんだきみのそのやり方は


一方で、こんなユーモアのある作品にも魅力を感じた。一首目は、目覚めぎわの寝ぼけた顔の比喩として、〈山羊〉がとても効いていると思う。山羊の目は、よく見ると瞳に横棒が入っていて、いかにも眠そうな感じの目なのである。似たような動物でも、たとえば羊は、目覚めというより、眠りに落ちるときのイメージが強いので、ここではふさわしくない。この歌に山羊は実にぴったりくるのだ。もしかしたら、この山羊は、胸の中の約束も、もしゃもしゃと食べてしまったりするんじゃないだろうか、などという空想もしてしまう。二首目も、やり方があまりスマートではないという指摘をしている場面だと思うけれど、カフェオレとコーヒー牛乳という言葉の持つイメージが、とてもうまく生かされている。

カントリーマアムが入室料になる美術部室のぬるめのひざし
鳥が云ふ誰にとつても祖国とはつねに真冬が似合ふものだと
風がさらふ雪を見ながら抱き合つたdocomoショップの光を浴びて


『さよならバグ・チルドレン』は、かなり普遍的な表現を指向している歌集だと思うのだが、先日、所用で札幌に行ったとき、空き時間にこの歌集をあらためて読んでいたら、札幌の空気を感じさせる歌が少なからずあることに気づいた。一首目の〈ぬるめのひざし〉や、二首目の〈祖国とはつねに真冬が似合ふ〉など、じゅうぶん普遍的な表現を獲得していながら、実は北の地に深く根ざしているように思う。三首目は、私のとても好きな歌で、雪の白とdocomoショップの赤という鮮明なコントラストが、誰にでも届く表現であるとともに、〈風がさらふ雪〉は、札幌という都市の風景を思わせるのだ。

普遍的な詠いぶりでありながら、実は深く土地に根付いている。山田さんの歌には、そんな魅力もあるのではないかと思った。

他には、次のような歌に惹かれた。

昨晩のその場しのぎの言ひ訳にサランラップがかけられてゐる
階段をのぼつてゆけば夕暮れと呼びたくはないひとときがある
IDカード首から提げて見つめたる液晶画面にそよぐはまなす




写真は、札幌の居酒屋「大ちゃん」の名物、「カツめし」。カツの中に豚肉と御飯が入っている。玉子を崩して醤油で食べる。

なみの亜子歌集『バード・バード』


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なみの亜子さんの第三歌集『バード・バード』(砂子屋書房)を読む。

吉野の山中での日々の暮らしを、独特の声調で詠い上げた一冊。

川沿いに鹿の足跡小(ち)さきもあり小(ち)さきはあちこち寄り道多し
野の山葵三ッ葉の浸しに飽きる頃にょんと伸びくるすかんぽがある


一首目の、あちこちと寄り道してしまう子鹿を詠った歌は、子鹿のかわいらしさを感じるとともに、山中の豊かな自然が頭に浮かんでくる。二首目に詠まれているような様々な植物が、子鹿の回りにも、〈にょんと〉芽生えてくるのだろうから、子鹿でなくとも寄り道をしたくなってしまうだろう。

豊作という柿農家あり。いや良うないという農家あり。山ごとに異なる
糠みそよう混ぜといて、と電話していつもの面子と夜の更けまで
しとしとのぴっちゃんな女が雨漏りの下に書きゆく葉書のひとつ


どの歌も、定型ぴしゃりの歌ではない。なのになぜかリズムがとてもいい。一冊を読み終えるころには、なみのさんの歌のリズムに、すっかりはまってしまっている自分に気づく。一首目の〈山ごとに異なる〉という把握の仕方は、細かいのか、大雑把なのか。都会の感覚ではなかなか理解できないような括り方が面白い。(私は群馬の山村の出身なので、分かります、と言いたいような気もする。)二首目は、家族に糠みそを混ぜておいてねと頼んで、仲間と夜更けまで飲んでいるという歌だろうか。まるで子鹿のような、〈にょんと伸びくるすかんぽ〉のような、と言ったら大袈裟だろうか、命のおもむくままの生き方と言えるかもしれない。三首目のような、ユーモアのあるしおらしさを演出する歌にも、とても心惹かれる。

私のなにが人を遠ざけしかありありとわかってしまう山の日暮れに
さびしさのきわまりてゆく夜の更けは犬の寝息にいきを合わせむ


もちろん、山中での暮らしは、楽しいことばかりではないだろう。時折やってくる孤独感に向き合うような歌も収められている。この歌集の歌には、「塔」の歌人の名前がたくさん詠み込まれているが、そんなところにも、人恋しさのようなものを感じてしまったりする。

他には、こんな歌にも惹かれた。

やっぱ鳶は山が似合う、とわが言へば、鳶はどこでもえらそうや、ときた
夏台風やる気なさげに到来すおおまかに雨をぶちまけながら
合羽着て風雨の山を渡るときごめんなさいとおもう決まって
なんだってこんなに死んだり生きたり山林に踏みつけてゆく腐葉土の嵩


定型から溢れ出てきそうな言葉たちは、生まれ変わり生き変わる吉野の自然と、作者自身にみなぎるエネルギーを象徴しているように感じた。



写真は、横須賀のベースの近くにあるアメリカンレストランのホットドッグのチリビーンズがけ。

吉川宏志歌集『燕麦』

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吉川宏志さんの第六歌集『燕麦』(砂子屋書房)を読む。


まず、Ⅲ章の東日本大震災以降の作品に注目した。

あなたは安全と思っていましたかと言う妻あらむ山のはざまに
おくのほそ道そのひとところ放射線強く射すとぞ鯖野を過ぎつ
天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ


原発事故を詠った作品を三首。一首目は、言うまでもなく、土岐善麿の敗戦後の歌〈あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ〉を踏まえた歌。二首目では、おくのほそ道まで、三首目では、天皇の玉音放送まで。どれも、日本の歴史を振り返り、行って帰ってきたところで一首にまとめているような作品だ。それだけに、どの歌も、表面的な原発批判に終わっていないばかりか、事態の本質を、深いところから汲み上げてくるような作品になっている。

四つ折にして投票をせし紙が函のなかにて薄目をひらく
あたたかきほうがコピーか二束の資料が朝の机に置かる


日常のちょっとした一場面を詠った歌にも、惹かれる歌が多かった。吉川さんの従来からの得意分野ではあるけれど、やはり痺れる。一首目は、薄目をひらいた投票用紙に投票者が見透かされているようだし、二首目は、会社勤めの経験があれば、誰もが分かる場面なのだが、なかなか〈あたたかきほう〉とは言えないと思う。

暮れながら白砂のうかぶ庭のあり木のナイフにて羊羹を切る


この歌が一番惹かれる歌で、白砂の庭を見ながら羊羹を食べるという、それだけの場面なのだけれど、それだけの場面に、どうしてここまで魅力を感じるのだろうか。少し分析的に読むと、〈木のナイフ〉というのがちょっと意外で、〈ナイフは金属〉という常識と、〈ナイフで羊羹は切らない〉という二つの常識を同時に裏切られ、その結果として、羊羹を切るものとしては、〈木のナイフ〉しかないんじゃないだろうかと思わされるに到る。そして、〈暮れながら(↓)白砂のうかぶ(↑)庭のあり木のナイフにて羊羹を切る(↓)〉という、イメージの上での上下のベクトルが相殺し合って、一首の中になんとも言えない均衡を保っている。

他には、次のような作品に惹かれた。

ハムスター食べずに死にしひまわりの種にはどれも白き筋あり
橋に来て遠くの橋を見ておれば夕べの靄がつつみはじめる
ナイフにて削りしころは鉛筆のなかに小さな仏が居たり
天頂の月にあたまを引っぱられ冬の小さな町を歩くよ
いつしかに陽のさしてきていちじくの葉のうらがわに雨は回りぬ




写真は、近所のタイ料理屋さんのガイガッパオ。横須賀はタイ料理屋さんが多く、家から歩いて行けるところだけでも4軒もある。


「短歌研究」2012年10月号

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「短歌研究」2012年10月号は、現代短歌評論賞の発表号。

受賞作は三宅勇介さんの「抑圧され、記号化された自然ー機会詩についての考察ー」。

次席は荒井直子さんの「出来事の記憶を歌い残すということ」。

荒井直子さんは、「塔」と「太郎と花子」に所属。荒井さんの論文は、抄録しか掲載されていないのが残念だが、前半部分で、「河北歌壇」の投稿歌を丁寧に調べて、被災圏の方々の言葉に向き合っている。荒井さんは、長い間、新聞歌壇の作品をテーマの一つとして評論を書かれていて、粘り強い取り組みに頭が下がる思いがした。

荒井さんとは、「太郎と花子」で創刊以来ご一緒しているが、「太郎と花子」は、北海道新聞の日曜歌壇の選者である松川洋子と、若手を中心とした投稿者とで2000年に創刊。新聞歌壇は、荒井さんにとって、短歌のルーツである訳で、自らのルーツを辿るようなテーマでもある。

荒井直子さんの第一歌集『はるじょおん』(ながらみ書房)から、初出が北海道新聞の日曜歌壇の歌を一首紹介したい。

はじめての誘いの言葉は「ここに来い」技術屋ってのは本当にもう


職場で出会った「君」のことを詠った作品。「技術屋」という一語がとても効いている。同じ一連の〈「建ぺい率」とか言っとけば気に入ってもらえると思ってたんだ君に〉もとてもいい。「技術屋」の「君」の顔が目に浮かぶようだ。



「短歌研究」の同じ号の大松達知さんによる短歌時評「人物像を軸とした歌」では、私の歌集を取り上げていただき、とてもありがたく拝読。大松さん、ありがとうございました。



写真は、いただきものの群馬の銘酒「大盃」の純米吟醸。火入れ一回の貴重品。〈ふくろかん〉と読むらしい。群馬の日本酒は、私の中では、東の「赤城山」、西の「大盃」が双璧になっている。「赤城山」は、みどり市(旧・大間々町)のお酒で、赤城おろしを思わせる荒々しい辛口。一方の「大盃」は、高崎市倉渕町(旧・倉渕村)のお酒で、「赤城山」に比べるとかなりマイルド、倉渕村を領地にしていた小栗上野介を思わせる理知的な味わい。ありがとうございました。

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