So-net無料ブログ作成
検索選択

鎌倉・いさむ【歌人の行きつけ その2】 [歌人の行きつけ]

isamu.jpg

9/24(土)は鎌倉居酒屋「いさむ」へ。

大下一真さんの『山崎方代のうた』(短歌新聞社)に、山崎方代がよく行ったお店の名前がいくつか紹介されていて、「いさむ」もその中にある一店。

お店は、小町通から横道に入ったところにある。今回、初めて訪問。

ビールとおつまみを注文して、女将さんに「山崎方代がよく来ていたと聞いたのですが」と尋ねると、方代の思い出話をいろいろとしてくださった。

方代が来ていたころは、お店は小町通沿いにあったとのことで、今のお店は移転後のもの。

ただ、カウンターに作り付けの熱燗器は、前のお店から持って来たものだという。

「鎌倉五山」という日本酒を注文して、きっと方代も使っていたであろう熱燗機に、自分でお銚子をぽちょんと沈める。

お酒もおつまみもとても美味しく、女将さんをはじめ、店員さんも親切にしてくださって、しあわせに酔っぱらう。

写真ポテトサラダは、三種類のジャガイモを混ぜて作っているという。

絶品。


Irino Sketch 第6号 2011.10

IrinoSketch6.jpg

「Irino Sketch 第6号」を拝読。

玉城入野さんが小説、エッセイ、映画批評などを、三原由起子さんが短歌と短文を執筆されている。

世田谷のカフェなどの店舗で、フリーペーパーとして配布されている。

巌谷純介さんのデザインがとてもおしゃれ。

玉城入野さんの小説は、巻頭の短編「きよい恋」と、連載の「東京ポリポリ」が全く違う世界を描いているのに驚く。

「散文民報」では、志賀直哉の「焚火」を取り上げている。志賀の「焚火」は、まだ読んだことがないのだが、たしか僕の故郷の群馬県の赤城山を舞台にした小説だったはず。玉城さんの文章を読んで、志賀の原作を読んでみたいと思うようになった。

玉城さんの「編集後記」の次の部分。なにげない言葉なのだが、思わず涙がにじんだ。

 私は、本を読むことが好きで、これまでの読書が、震災後の状況を考える上で、役に立つこともあれば、そうでないことも多々あります。本の他に、私に新たな考えを授けてくれるのは、直接お話したり、ネットなどで言葉を発する方々です。人がいて、言葉があるのです。


本当に、「人がいて、言葉がある」のである。

三原由起子さんは、福島県の浪江町の出身。震災後、自身の体験などをもとに、積極的に短歌作品を発表されている。

「青田、浜風」5首より。

扇風機の前に座って目を閉じている盆の入り 青田、浜風

盆正月迎えるたびに受け入れてしまうのだろうかふるさとの死を


修辞を極力排除したような作品だが、それだけに言葉がストレートに読者に迫ってくる。原発の事故によって、ふるさとを失うことになるかもしれないという思い。僕も一人の地方出身者として、三原さんの言葉に静かに耳を傾けていたいと思う。

三原さんの作品では、他に「短歌研究」H23.9の「ふるさとは赤」が印象に残っている。短歌研究新人賞の最終候補通過作品である。

諳んじる十月二十六日は原子力の日と幼き日より

原子力ポスターを描く宿題を提出しないままに過ぎにき

脱原発デモに行ったと「ミクシィ」に書けば誰かを傷つけたようだ


一首目と二首目は、福島の教育現場に、いかに原発推進の政策が影響を与えていたのかを物語っている。あまり知られていない事実だけに、体験者の貴重な証言だと思う。

三首目には、同じ地域の出身者であっても、置かれている立場の違いによって、事故後に様々に分断されてしまった辛い現実が描かれている。

この一連については、佐佐木幸綱さんがとてもよい選評を書いている。ぜひ「短歌研究」9月号を手に取って、三原さんの作品とあわせて読んでほしい。


黒田雪子歌集『星と切符』

hoshitokippu.jpg

黒田雪子さんから歌集『星と切符』をいただいた。私家版の歌集である。

黒田さんは2003年に短歌研究新人賞を受賞されている。「未来」所属。

われという重きうつろを音のなき高みにありて陽は照らし居り

たじろがずすれ違うわが背後にて異性 露骨に舌打ちしたる

あかねさすひかりのあさへ目覚むればむれば集団行動に耐えねばならぬ


現代という時代の生きにくさをテーマにした作品が多いように思う。「われ」がここにあるということの違和感。その違和感は、「異性」や「集団行動」などを通じて、さらに深まってゆく。

ありながら流れてゆくというだけでなぜか哀しい河なのである


歌集の中では、この歌が一番好きになった。河の流れに存在のかなしみを託しているのだが、そのかなしみを静かに受け入れようとする気持ちを、結句の「河なのである」に感じるのである。

投函を教えんと子を新年のポストの口へ父は抱き上ぐ

おてんばがうすくちしょうゆ買う任務帯びて駆け出す大晦日夕


全体的に重いテーマの歌集だが、こんな日常の一コマのような、ほっとする感じの歌もよかった。

「あとがき」に、「三十代後半になって、これといった理由もないのに詠めなくなってきたので、無理にこしらえようとせず、もうやめてしまうことに決めました。」とある。

短歌をやめてしまうというのだ。

黒田さんには全く面識がないのだが、「ちょっと待ってください」と声をかけたいような気持ちになった。

斉藤倫詩集『本当は記号になってしまいたい』

kigouninatte.jpg

先週、会社の仕事が急に忙しくなってしまい、木曜日は泊まり込み。金曜日は鎌倉で約束していた友人との飲み会に参加できず、がっくり。

土曜日は、東京で短歌の友人と二人飲み。10年来の友人で、気楽になんでも話せて時間を忘れて過ごす。焼酎の「兼八」、日本酒、サワーなどを飲む。お店の椅子が酒樽を使用していて、丸っこい。そんなに酔っぱらっていた訳ではないのだけれど、座ったときにくるんとコケてしまった。



今日は昼食のあと、ドブ板通りのカフェで、久しぶりに詩集を読む。

僕は現在の詩のことについては疎いのだが、Twitterで斉藤倫さんという詩人の方を知り、『本当は記号になってしまいたい』という詩集のタイトルがとても気になって、「ガケ書房」という本屋さんにネットで申し込んでみたのだ。

一気に読む。

多くの詩が、二人の人物の台詞のやり取りで構成されている。言葉がとてもやわらかく、好きなフレーズがたくさんあった。

中でも、一番好きなのは、(とても迷うけど、)この詩かな。


インフィニティ

「きょう
神さまに
ケータイが
つながった
信じてる?っていうから
信じてるってこたえた
いちばんだいじなものを
くれる?っていうから
(後略)


短歌の本を読んでいると、半分仕事のような気持ちになってしまうことがあるのだけれど、今日は久しぶりに純粋に読書を楽しめた。

しかも「ガケ書房」さんから、注文した詩集のほかに、素敵なオマケも送られてきた。いい買い物をしたなと思い、嬉しくなった。

【H23.10.20追記】
一篇の詩を全部引用してしまうのはどうかと思い、引用を途中までに改めました。詩集を手に取って、ぜひ全篇を読んでほしいです。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。