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「藝文研究」100号記念号

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「りとむ」の7月の歌会の後、滝本賢太郎さんから、雑誌「藝文研究」100号記念号をいただいた。

滝本さんは、26歳の「りとむ」の新鋭。慶応の大学院でドイツ文学を研究されていて、初めての論文が掲載された雑誌を譲ってくださったのだ。

論文のタイトルは、「接近と凝視 --E.ユンガー『冒険心 第一稿』における生の認識とその姿勢」というもの。短歌の筆名の滝本賢太郎ではなく、本名で執筆されている。

正直なところ、僕はユンガーの著作を一冊も読んだことがなく、ドイツ文学にも全くの素人なので、滝本さんの論文についてどうこう言う資格はないのだが、論文の中に、ユンガーの文章のおもしろい引用があったので紹介したい。


生と死が突如として転換する瞬間には驚愕を誘うまがまがしさがある。そしてこの呪縛から逃れ出れば、しばしば哄笑へと移ってしまうのも理由のないことではない。わたしは、とある百貨店の店員を思い出す。彼はマネキンたちの立ち並ぶなかで、突然に生を得たように見えたのである。(S.143)


『冒険心』という本の一節。マネキンかと思ったら人間だったと分かって、ぎょっとしたというエピソード。こういう時にこそ「根源的な生の可視化が許される」というのが滝本さんの解釈。(だと思うのですが、理解が足りなかったらごめんなさい。)

このエピソードを読んで思い出したのは、次の一首。


曳き入れて栗毛繋げどわかぬまで櫟林はいろづきにけり/長塚節『長塚節歌集』


栗毛の馬が繋がれている、紅葉した櫟林にユンガーを案内したら、一面の紅葉と思っていた中に、馬を発見して、かなりびっくりしてくれるのではないだろうか。

上の句は下の句にかかる比喩なのかもしれないが、実際に栗毛の馬が引かれて行って、櫟林に繋がれるまでの映像が浮かんでくる。

馬の姿をしていたものが、徐々に紅葉に吸い込まれて見えなくなってゆく。

滝本さんが論文で書いている「生と死のもつれあう様」を見ているようでもあり、馬と櫟林との、生と生のもつれあいのようでもある。そんなことを考えたりした。

「藝文研究」、ありがとうございました。



写真は、北海道帯広風の豚丼。生姜焼き用の豚肉を焼いて、醤油2、みりん1.5、酒1、砂糖少々のタレであえてできあがり。

タッラリンヴェルデ

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横須賀のドブ板通りに住んでいる。

米軍基地に近いからだろうか、エスニック料理のお店が近くにたくさんある。

歩いて行ける範囲にも、インドカレー屋さんが4軒、タイ料理屋さんが4軒ある。割と好きなので、休日のお昼などによくお邪魔する。

そんな横須賀に、何ヶ月か前に南アメリカ料理屋さんができて、ずっと気になっていた。ペルーやコロンビアの料理が食べられるらしい。お店の前に料理の名前と写真が貼ってあるが、見たことや聞いたことのある料理が何一つない。これは、かなり珍しい。

店内を覗くと、あまり日本人客がいなそうなので、今までビビっていたが、今日、勇気を出して入ってみた。

お店の名前は「GEODANA(ジオダナ)」。

上の写真の、ペルー料理の「タッラリンヴェルデ」850円というものを頼む。ペルーでは有名な料理なのだろうか。ググってみたが、日本語ではヒットしない。

ホウレンソウのパスタにビーフステーキが添えてあり、ポテトフライと玉子が乗っている。パスタはニンニクが少し効いていて、美味しい。パスタにステーキという組み合わせも、とても新鮮。

あまり食べたことのない味だったが、大満足。次は別の料理も食べに来てみたい。

ちなみに、横須賀のランチの相場は、天丼の老舗の「岩松」の天丼が530円。インドカレーのナンとカレーで700円代。タイ料理のランチは780円~790円といったところ。海軍カレーやネイビーバーガーは1000円~1200円と、ちょっと高め。

「タッラリンヴェルデ」850円のランチは高級なほうだが、十分な満足感はあった。



午後は、小島なおさんの歌集『サリンジャーは死んでしまった』を読む。

比喩表現がとても豊かな歌集、というのが第一印象。感想を書きたいが、今日は遅くなってしまったので、また後日にしたい。

「コスモス」つながりで、大松達知さんの第三歌集『アスタリスク』を再読。

昔から思っているのだが、「コスモス」の歌人の方の歌というのは、とても分かりやすい。大松さんも、小島なおさんもそうだが、一読して、歌の意味はすっと通る。

短歌を分かりやすく作り、その上で、表現としての味を加える。

これは実はかなり難しいことで、「コスモス」という結社の力というものを、あらためて感じさせられた。


伊香保温泉・福一【歌人の行きつけ その1】 [歌人の行きつけ]

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群馬の実家の家族や叔父や叔母たちと、伊香保の温泉旅館の「福一」に行ってきた。

祖父の三回忌に親戚で集まって温泉にでも行こうか、という声が上がり、温泉なら伊香保の「福一」に泊まってみたいと、僕が提案していたのである。

というのも、この「福一」は、齋藤茂吉と土屋文明が顔を合わせる際に、しばしば利用していた温泉旅館だからなのだ。

藤岡武雄の『新訂版・年譜 齋藤茂吉伝』の年譜で確認すると、茂吉と文明が一緒に「福一」に泊まったのは、少なくとも三回が記録に残っている。

最初が、昭和3年6月23日・24日で、このときは『左千夫歌集』編集のために泊まったのだという。その後も、昭和6年11月と、昭和8年の4月に、茂吉と文明は「福一」に泊まっている。

二人で「福一」に泊まったときの歌が残っていないだろうかと思い、茂吉と文明の歌集を当たってみたが、それらしい歌は見つからなかった。最初の訪問が、『左千夫歌集』の編集が目的だったように、二人の「福一」訪問は、歌作りのためではなく、もっと実務的な打合せのためだったのかもしれない。

それと、この「福一」、偶然にも僕の祖父母が新婚旅行で訪れた宿だったという。昭和24年の1月、満1歳になる父を連れて、祖父母がやって来たのだ。当時、旅館には赤ん坊が食べられるような柔らかいものがなく、伊香保の街まで白魚を買いに行ったという思い出話を、祖母がしてくれたのが印象に残っている。

さて、茂吉と文明の行きつけだった「福一」の、温泉のほうはどうだったかといえば、感想は、「・・・。」である。

宿に着いて、石段街を一通り散策した後、美味しい料理と地元の日本酒に舌鼓。その後は親戚一同でカラオケ大会。ちと飲みすぎて、翌日はチェックアウトギリギリまで二日酔いでダウン、という始末。結局、温泉に一度も入らないまま、旅館を後にすることになってしまったのだ。。親戚一同からは顰蹙だったが、お酒をこよなく愛した祖父なら、笑って許してくれるのではないだろうか。

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